恩送り

「恩送り」の気持ちがあれば優先席問題は解決する

こんにちは。恩送りの宿「ちょ」のアキヤマリョウタ(@_r_y_o_y_r_)です。

今日は優先席問題についてのお話。
人は線を引きたがりますよね。線を引いて、あの人はコッチ、この人はアッチ。みたいな。

それってすごく悲しいし、逆に窮屈にしている場面もあります。
その一つに優先席があると思っています。

今日は、恩送りの気持ちが浸透したら、優先席がどうなるかについて話していこうと思います。

優先席が空いていたら座っていいのか

僕が「恩送り社会が一般化したら何がいいか」の話をするときによくする例え話があります。

それが優先席問題です。

あなたは優先席を知っていますか?
そりゃ知ってますよね。電車やバス、音楽ホールなどにある優先席のことです。

この優先席で、しばしば話題になるのが

優先席が空いていたら、

健常者は座っていいのか否か。

です。

いろんな考え方がありますよね。

  • お年寄りや妊婦、障がい者のための席だから座ってはダメ!
  • 空席にするなら座った方がいい!
  • お年寄りは優先席にいけよ!

とかね。

僕は、

優先席が空いていたら真っ先に座ります。
なぜなら、僕にも座る権利があります。

もちろん、お年寄りや体の不自由な方、妊婦さんには譲ります。(善意です)

こんなこと言うと、

そんなの当たり前だろ!って声が聞こえてきそうです。

そうですね。「当たり前だ」と思う人もいるでしょう。
その通り。当たり前なんですよ。“優先席”だからお年寄りなどに譲るのは。

優先席の注意書きにも書いてありますよね。「お譲りください」って。

でも、これって本当に残念なことです。

「優先席」だから譲って、「普通席」だから譲らなくてもいいのか

優先席なんて本当はいらない

人は、線を引きたがります。しかも、くっきりはっきり。
優先席があるからこそ起こる弊害があります。

優先席という檻

優先席などの区画は、ある種、檻(おり)のように働くことがあります。
もちろん、柵があるわけではないですよ。心理的な檻です。

例えば、「優先席あるんだからあっちいけよ」みたいな意見が普通席で発生すること。

こんな感じで、お年寄りが座る椅子は普通席にはない。という認識を持っている方がたまにいる。
こういう現場を見ると心が痛みます。しかも自分が立っていたら何もできない歯がゆさもあります。

それから、優先席が少なすぎて、必要とする人同士で譲り合うという謎の現象が起きてしまうこと。

よろよろで杖ついてるお年寄りが妊婦さんに席譲るという、謎の現象がしばしば起きますよね。
「どっちも座るべきでしょ!」って思うけど、優先席は席数が限られているし、車両を移動するのも大変なのでその檻の中で譲り合うしかない。

 

僕は座席は

「座るべき人」が「いつでも座れる」という状態が理想

だと思っています。

たとえ若い人でも病気でぶっ倒れそうな人だったら譲るべきだし、お年寄りでも健康で立てるのであれば、もっと不都合がある人に席を譲るべきだと思います。
お年寄りも健康だったらずっと立っていろ、と言う意味ではないですよ。

あくまで「優先」すればいいだけの話かと思っています。
ガラガラの電車で立っている必要はない。

こういうこと言うと、「“座るべき人”の定義は?」って誰かが言いそうですが、どうしてそんな杓子定規なんですかね

譲られる側の逆ギレもどうにかしたい

譲られる側も「どうぞ」って言われたら、快く受け入れるか、相手を不快にさせないように断るのがいいと思います。

「わしゃ、そんな年寄りじゃない!」ってリアルに聞いたことあります。

これ、せっかく譲ったのに悲しい気持ちになりますよね。
内心そう思ったとしても、心に留めておいて「ありがとう、でも立てるから大丈夫だよ」って言うだけでも受け取る気持ちは変わるのに。

見返りを求めていない善意でやってるので、カウンターパンチくらうとダメージ大きいですね。

恩送りが優先席を変える

恩送りが浸透して優先席がどう変わるのか、やっと本題に入ります。

恩送りの根本は「善」。まずは自分基準を作る

恩送りの気持ちの根本は「善」です。
なので、どんな選択をしても「悪」の方に働くことはないです。

どれを選び、どれを選ばないかは自分基準でいいと思いますよ。

「どんな時に誰を優先するか」

この自分基準が世の中にたくさんできてくれば、人それぞれの自分基準の違いがいい具合に足りない部分をフォローし合うと思います。

機械工学に「あそび」という言葉があります。

接合部に意図的に設けられた隙間も「遊び」と呼ばれる。これは素材膨張した際に素材同士が衝突しあって全体に歪みを生んだり、熱膨張率の違いからずれが生じたりするのを防ぐ、また木材のように湿度の変化で素材が伸縮する際の歪みを吸収し破損を予防するなどの理由から設けられる。このほか、振動のある環境下では余り強固に接合することで機構全体に振動が伝わり、末端に負担がかかる傾向があるため、この振動を吸収する意図から遊びが設けられる場合もある。機構が複雑で噛み合わせによって動作する場合にも、遊びが設けられる。(Wikipedia)

それぞれの自分基準の違いが「あそび」となって、様々な衝突を吸収することができます。
世の中にも「あそび」がある程度は必要です。

自分基準にボカシをかける、都合の良さで補い合う

自分基準を作るときのポイントは、この基準線にもボカシや揺らぎを作ること。

つまり「今日は体調が悪いから座りたい。」と思ったら、無理に席をゆずる必要はないということ。
弱者は、時と場合によって変わります。体調が悪い場合、あなたは弱者になります。

こういう「都合の良さ」こそが「恩送り」の良さだと思っています。
無理して送る恩というのは、自害でしかない。そもそも、自分が無理な時にこそ誰かの恩を受け取るべき

そして、その恩を、また違う誰かに送ればいいんです。

今日から始める恩送り

何か恩送りをしたいと思っている方は、電車やバスに乗ったときに「善」のアンテナに引っかかって、耳や鼻の穴がピクピクしたら、乗ってきた人の年齢や心身の状態などに関わらず席を譲ればいいんだと思います。
その感覚、大事ですよ。

そういう気持ちがすでに恩送りの始まりで、行動を起こしてちょっと気持ちよくなったら、あなたは恩送りに向いている証拠。

気楽に恩を送っていきましょう

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